2015年7月19日~7月28日
ハワイに到着して最初のイベントは、在ホノルル日本国総領事館でのウェルカムレセプションだった。三澤康総領事の出迎えで総領事公邸に入った子どもたちは、長旅の疲れと興奮が入り混じった、やや緊張した顔つき。
ハワイで同行するメンバーや、今年2回目となるサミットでサポートするメンターが紹介されると、興味津々に目を輝かせていた。ハワイ地元の人々と同じテーブルを囲んで早速コミュニケーション。子どもたちからも名前や部活動などの自己紹介があり、ハワイでたくさんのことを吸収したい! と意気込んだ。
また今回はこのプロジェクトの卒業生である高校生、成澤みくちゃんが一緒に参加。卒業生同士の交流や活躍が目立つのもこのプロジェクトの特徴だ。
子どもたちはそのままノースショアにあるキャンプ施設「キャンプ・アードマン」に移動。キャンプには、地元の子どもたちの団体「ブリッジクラブ・ハワイ」も合流し、英語でのコミュニケーションのスタート。中学生で英語を習いたてのレインボーキッズたちだったが、そこは子ども同士、すぐに打ち解けて仲良くなった。ここではチームビルディングと呼ばれるゲームを通して、仲間と共に考え、解決するシミュレーションを展開。大自然の中で、仲間と一緒に何かを果たすことの喜びをかみしめたに違いない。
3日間のキャンプを終えた子どもたちは、ジャルパックが用意したバスで「コアロハ・ウクレレ」に移動。コアロハ・ウクレレは、ハワイを代表する人気ウクレレメーカー。社長のアラン・オカミさんを筆頭に、従業員たちをオハナと呼ぶ家族経営を実践している。ウクレレブームで海外からの注文も殺到し、常に出荷待ちの状態。それでも、このレインボー・フォー・ジャパンキッズがハワイに来た時だけは、2日間一切の製造工程をストップし、子どもたちにウクレレ製作体験を提供。
従業員総出で製作を手伝ってくれる。ハワイ文化を代表する楽器ウクレレを自分で作る体
験は新鮮で、子どもたちは夢中。たっぷりのバーベキューも用意してくれ、はしゃぐ子どもたちを見て、コアロハの皆さんも笑顔。自分たちの生産を遅らせても子どもたちに何かを与えようとする。これがアロハスピリット。子どもたちにも、その姿勢は十分に伝わった。
今回のプロジェクトには、コアロハ・ウクレレと同じように多くのハワイ地元企業、団体が、「東北の震災で傷付いた子どもたちのために」と多くの支援をしてくれた。無料で招待してくれた多くのレストラン、食品・飲料を無償で提供してくれたメーカー、寿司店、ベーカリー、ショップ、場所を提供してくれた会社、団体なども多い。その一つ一つに詰まったアロハの心が、いまだ日々の暮らしに必死で夢を忘れかけた彼らに希望を与える。
昨年から始まった「ハワイー東北TOMODACHIサミット」は、東北から来た子どもたちが、ハワイの子どもたちと一緒になって、自分たちの街のこと、町おこし活動のことを発表する。ハワイ大学で開催された今年のテーマは4つ。「文化・創作とつながり」「地球と環境」「若者の声」「サービスラーニング・ボランティア」。それぞれのテーマごとに4つの部屋に分かれ、来場者は部屋を回って発表を見た。地元の動画を流すチーム、自ら町おこしのダンスを披露するチーム、趣向を凝らした衣装を披露したチーム。日本から準備をしてきた発表だけに見応えは抜群だった。負けじとハワイのチームも自分たちの活動を発表。今、若者が感じていること、これから実現したいこと、そんな鼓動が直に伝わってきた。
今年は戦後70年。戦争と震災は違うが、人々の希望を奪う災害という点では共通。今回はハワイ日本文化センターにて第二次世界大戦に参戦した日系人と語るセッションも行われた。災難に翻弄された体験談を子どもたちは一生懸命に聞いていた。毎年実施されているハワイの大人とのトークセッションもあり、自分たちのことを振り返る良い機会になったはずだ。最終日のフェ
アウェルパーティーでは、ハワイ滞在中に用意したパフォーマンスを披露する場面も。この頃になると皆の笑顔は輝くほど。
その笑顔も帰国の時には、感動の涙に変わった。
「またハワイに帰ってきたい。皆さんに恩返ししたい」。そんな感想を何度も聞いた。来年もこのプロジェクトは続行する。
<記事提供:ライトハウスハワイwww.lighthouse-hawaii.com>